美男蔓の生垣に沿って玉石を積んだ坂道をのぼると曙町邸があった。広い庭には芝生が植えられ大きな石があちこちに点在していて下草には小笹や竜のひげが植えられていた。 かなり大きな青桐を中心に松・梅・紅葉・ざくろ・杏・柿(渋柿だったので樽柿にした)などがあり、空池の廻りには美女柳・つつじの植え込み等があり、クリーム色のつるバラには四角い木製の柵があった。飛び石伝いに空池を廻ると築山に至り、裏庭にはお稲荷さんが祀られ、おばあ様が初午の日には稲荷すしをお供えしていらしたた。廊下の前には池があり、冬になると木のふたをし、松葉を敷き詰め、小規模ながらも金沢の兼六公園さながらの雪吊りがしてあった。陽当たりの良い廊下にはおばあ様が飼育されていたカナリアや十姉妹の籠が並べられていた。 お庭は植木職人が常時手入をしていたが、盆栽は他人任せにせずご自分で丹精されていた。 大玄関横の広間の突き当たりに六双の屏風、その前に小机の上には背の高い壺があり、お庭から摘んだ菊や梅もどきなどをおじい様ご自身で活けていらした。 お庭に面した和洋折衷の応接間は絨毯が敷き詰めてあり、英国から持ち帰った椅子やテーブルが置かれていた。そこに違い棚や床の間があり、おじい様の見事な松などの盆栽が置かれていた。二階のお座敷にも床の間がありそこにもいつも何かが活けられていた。 夏になると九留和の別荘ですごされた。そこではお庭にホースで水撒きをされるのが日課だった。年少の男の子たちはおじい様のシャワーの洗礼を浴びるのに夢中になっていた。 将棋や碁・ひとりトランプを楽しまれ、30人程もいた孫たちが交代で訪れるのを楽しみにされていた。 (孫 岩村 緑談) |